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儚く散った長岡ニュータウン建設計画 長岡テクノポリス構想は失敗だった?

「長岡ニュータウン建設計画」は、長岡市西部の丘陵地帯に昭和50年頃から建設が進められた地域振興整備公団(現・都市再生機構)の第一号事業。
技術科学大学の誘致とともに、長岡テクノポリス構想の核でもありました。

この計画は田中角栄元首相の「日本列島改造論」の一環として構想され、長岡市を日本海側の重要拠点とする壮大なビジョンだったのです。

もくじ

長岡市民をワクワクさせた「長岡ニュータウン建設計画」とは

発表当初(昭和48年)は自然環境をできるだけ維持しながら、住宅やテーマパーク、商業施設、大学などを1,413ヘクタール(約14平方キロメートル)の中に集約し、地区の人口は周辺の集落を含めて約5万6千人を予定していました。

当時の長岡市は人口増加が見込まれ、新たな住宅地に対する雇用創出も必要となりました。
関越自動車道と北陸自動車道につながる高速道路長岡インターチェンジと隣接する「新産業センター(現・新産センター)」が造成され、物流の便が良いこの区画に多くの企業を誘致しています。

この計画は長岡市だけでなく周辺地域も含めた広域的な発展を視野に入れており、新潟県中部地域の経済活性化の核となることが期待されていました。

モノレールやテーマパークに大型商業施設、計画はさらに膨らむ

これからの長岡はすごいことになる。
もう新潟の県庁所在地は長岡市でいいんじゃないか。

そんな言葉が長岡市民の脳裏をよぎったかどうか定かではありませんが、とにかくスゴそうな雰囲気を漂わせる計画だったのです。

計画の中には宇宙開発に関するテーマパーク「スペースネオトピア」、病院、商業施設、美術館などの誘致、そして長岡駅とニュータウンをつなぐモノレールの建設も含まれていました。

現代のモノレールというとディズニーリゾートラインのように線路をまたいでいる跨座式(こざしき)が主流ですが、当時の長岡は豪雪地域だったので、おそらく雪の影響を受けにくい懸垂式のサフェージュ式モノレールを予定していたと推測されます。

サフェージュ式の千葉都市モノレール

また、長岡ニュータウンセンターの場所が駅になるという噂がありましたが、詳細が公表されないままモノレール計画が消滅した現在となっては真相は闇の中。

長岡ニュータウンセンター

この建物はもともとの計画ではショッピングモールやバスターミナルを擁する大型施設『タウンセンター』として、商業・文化・レクリエーションの拠点となる予定でした。

ニュータウンに入居が始まった段階で住民のため部分的に開業。
当初は食料品店だったか何かお店が入っていた気がしますが、その後施設が拡張されることもなく、現在は食堂と銀行の入ったコミュニティセンターに。

目の前にはアカチャンホンポのフラッグシップ店舗が建設されましたが、2016年7月に閉店してリバーサイド千秋に移転。現在は取り壊されています。

そして、長岡ニュータウン建設計画は15年の歳月と多額の経費をかけたビッグプロジェクトでしたが、強力な後ろ盾である田中角栄氏の失脚と第二次オイルショックの影響によって大幅に規模を縮小していくことになるのです。

土地の価格は現在の約3倍!

ちなみに、分譲の始まった1983年のニュータウン地価は一坪あたり平均131,340円、2025年現在の物価に換算すると約181,500円

現在の相場が一坪あたり5〜60,000円くらいなので、なんと現在の約3倍という値段がついていました。

もう完全にバブルでしたね。

ゴミは「廃棄物管路収集システム」で地下のパイプを真空輸送

最寄りの投入口へごみをポイ!
あとは、地下に埋設されたパイプで収集プラントへ真空輸送。ここでにおいや水分を取除き、コンテナ車で焼却場へ───こんなスピーディで衛生的なごみ処理を可能にするのが廃棄物管路収集システムです。

一定時間になると集塵センターの送風機が動き、ごみは風速百キロ近くの空気の流れに乗って集塵センターへ集められます。これらの作業は全自動で行われ、集められたごみは、焼却工場又は埋立地へと運ばれます。

投入口は、百~百五十メートル間隔に一つずつ、全部で百八基設置され、集合住宅には、管路と直結するダストシュートが備え付けられます。

総事業費は、約三十六億円が見込まれています。

(ながおか市政だより 1980年1月号)

未来都市、まさにそれを感じさせるテクノロジー。
このシステムは実際に運用されています。

東西を結ぶ全長1,210メートルの橋「ニュータウンブリッジ」

信濃川には、現在、三本の橋がかかっており、大手大橋も昭和五十八年度完成を目指して建設が進んでいます。

しかし、長岡ニュータウンの分譲が開始されるなど、長岡市は、将来にわたって大きな発展が見込まれており、この四本の橋だけでは、とうてい将来の交通量をさばくことはできません

しかも、長生橋の上流には橋がないため、市の南部の東西交通は、著しく機能性を欠いています。
そこで、長岡市の都市機能を向上させ、市の将来の発展に対処するために、第五の橋ニュータウンブリッジの早期建設は大変重要になっています。

(ながおか市政だより 1981年10月号)

この計画は「長岡東西道路渋海川橋梁(仮称)」となって継続され、2013年「フェニックス大橋」として開通しています。

フェニックス大橋ができたことによって、朝夕は常に渋滞していた長生橋の交通量が劇的に緩和されました。

フェニックス大橋

2022年3月に長岡東西道路が全線開通。
これにより、国道17号線(長岡東バイパス)から沢田跨線橋・フェニックス大橋を経由し、ニュータウンまで一直線に行けるようになりました。

修正後の事業計画

  1. 位置(新潟県長岡市)
    長岡市中心市街地から西へ約10kmに位置し、関越自動車道長岡インターチェンジ及び国道8号に隣接、地区内に県道西山線が縦貫しています。
    また、JR長岡駅(上越新幹線、信越本線)から約10kmの距離にあります。
  2. 開発面積
    約440ha(中央地区約300ha、雲出地区約60ha、才津地区約80ha)
  3. 計画人口
    約10,000人
  4. 事業期間
    昭和50年度から概ね30箇年
  5. 概算事業費
    約1,120億円
  6. 土地利用計画
    住宅用地 約60ha
    産業用地 約80ha
    誘致施設用地 約60ha
    公共公益施設用地 約240ha

長岡ニュータウン建設計画が大幅に修正された結果、用地の一部は開発停滞に対する国の救済策で国営越後丘陵公園となり、計画を断念したスペースネオトピア予定地には長岡市がニュータウン運動公園を建設。

平成17年頃、「長岡ニュータウン建設計画」は大部分の計画が達成できないまま終了。
長岡市民の夢はひっそりと幕を閉じました。

長岡テクノポリス構想とは

テクノポリス構想は、「技術(テクノ)」と「都市(ポリス)」を組み合わせた造語で、先端技術産業と学術研究機関、快適な居住環境を一体的に整備する新しい都市づくりの構想です。

長岡市では、1982年(昭和57年)4月に「テクノポリス建設基本構想」が通商産業省に報告され、同年8月にはテクノポリス開発構想策定地域に指定されました。

テクノポリス法の廃止とその後

全国的なテクノポリス政策は、1999年の新事業創出促進法への統合により、テクノポリス法自体は廃止されました。

その役割は「高度技術産業集積活性化計画」へと継承され、さらに中小企業政策とも一体化した地域連携・技術革新支援へと発展していきました。

失敗?長岡テクノポリス構想の評価と意義

長岡テクノポリス構想は、単純な数値目標の達成度だけでは評価できない面があります。
この構想を通じて、長岡市に産学官連携の基盤が整備され、技術革新の土壌が醸成されたことは大きな財産となりました。

特に長岡技術科学大学をはじめとする教育研究機関と地域産業界の連携体制の構築は、その後の地域産業発展の礎となっています。

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こんにちは。
なMAP!編集長です。
趣味は魚釣りと写真撮影、車とバイクも大好きです。

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