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※この記事は2010年7月に他メディアで執筆した内容を加筆修正したものです
長岡駅から大手通りを経て、まっすぐに進むと信濃川に架かる橋「大手大橋」があります。
昭和55年9月に着工。昭和60年に「2車線しかないのに橋脚だけは4車線分」という不格好な姿で開通した奇妙な橋でした。
開通から24年の時を経た2009年9月、ようやく4車線化が完了。
着工から実に29年の歳月が流れています。
橋脚だけ完成した不格好な大手大橋が4車線化まで24年かかったわけ

なぜ大手大橋は完成まで29年もかかったのでしょうか。
まずは完成までの経緯を見てみます。
- 1974年(昭和49年):「第二長生橋」として計画が決定し、市民公募で「大手大橋」と名付けられました
- 1980年(昭和55年):橋の本体工事が着工
- 1985年(昭和60年)7月23日:上流側の橋梁のみを使用した暫定2車線で開通
- 1986年(昭和61年):全面4車線化計画の開始
- 2009年(平成21年)9月8日:4車線での本格供用開始
長岡市に4本目の橋を架けることが決定
なぜ新たな橋が必要だったのでしょうか?
第二長生橋について、昭和48年の市政だよりで以下のように発表されていました。
第二長生橋(仮称)の建設へ
高速交通時代を象徴する上越新幹線や北陸・関越両自動車道あるいは二つの国道バイパスの建設にともなって長岡市をとりまく交通体系は大きく再編成されようとしています。おそらく、20万前後の都市としては、全国でもその例を見ないほどの変化、変ぼうに直面しているといわれましょう。
私たち長岡市民は、このことをいち早く予測しながらこれに対応する都市づくりを市政の最重点として、ここ数年間着々と準備を進めてまいりましたが、今後さらに魅力ある地方都市長岡、理想的地方中核都市として発展するためには、市の東西ともバランスのとれた発展が必要であり、信濃川にもう一本新しい大橋を架けることが緊急の課題となってまいりました。
その位置は、以前から広く市民の間に強く要望されていた、長岡駅から大手通の延長線上に第二長生橋(仮称)を建設することが最も適切と判断されます。
そこで、去る2月16日、千人にもおよぶ市民参加のもとに、第二長生橋(仮称)建設促進期成同盟結束の市民大会が開かれましたが、今後さらに全市挙げて強力な市民運動を展開し、その早期建設を期したいと存じます。
(ながおか市政だより 昭和48年3月号)
当時、信濃川には長生橋と長岡大橋と蔵王橋の三本の橋が架かっていましたが、人口と交通量が増加するとともに橋の渋滞が問題になっていました。
公共事業抑制で予算が減少、建設は段階的に
過去の資料によると、「公共事業抑制のあおりを受けて、建設のテンポが遅れがちになっていました」と記されています。
当初から4車線化を見据えていましたが、国や県・市の財政状況により、他の重要インフラ整備との兼ね合いから予算配分が限られ、工事が断続的になったことが考えられます。
技術的な課題と橋梁設計の変更
大手大橋は信濃川という日本有数の大河に架かる全長878.3mの大規模な橋梁で、建設には高度な技術が必要でした。
特に4車線化工事では既存橋梁との調和や接続部分の設計に技術的課題があったと考えられます。
また、完成までの間に新潟県中越地震と新潟県中越沖地震と二度の大地震被害に遭ったため、耐震設計の見直しと改良が行われています。
その他に川東側の用地取得や移転問題や、周辺道路との接続工事の調整などもあったようです。
まとめ:4車線化が24年放置されたわけ

おもに財政上の制約と設計の変更によって、暫定2車線での開通から完全な4車線化まで段階的に建設することになったということです。
結果、暫定2車線の開通から4車線での完全開通まで約24年の期間を要することになりました。
この大手大橋の例は、大規模公共事業が社会的・経済的・技術的・自然的要因によって長期化する典型的な事例といえるのではないでしょうか。
完成前の大手大橋周辺の写真


信濃川の案内放送を聞くことが出来るという謎の建造物「グリーンコンパス」。
正式名称は「長岡水質自動観測所」。
割れたガラスをガムテープで補修しているなど、利用者がいるのかは疑わしい。

4車線化工事中の大手大橋。
この後、24年間の2車線時代を終え、長岡駅から千秋が原まで片側2車線のままアクセスできるようになりました。

数年前に長生橋下で釣りをしていた時、琵琶湖水系にしかいないと思っていたハス(ケタバス)が釣れて驚いたことがありましたが、さすがにサケが釣れたことは一度も無いなぁ。

信濃川はとてもいい。
ぼんやりと一日中眺めていたい気持ちになりますね。
長岡を離れて他の土地に住むと、この信濃川が無性に恋しくなるんですよ。
「日本一長い川」というだけで特に変わった特徴も無いのですが、幼い頃の思い出がたくさん詰まっている象徴的な景色だからかな。
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